”楽しみな”お祭りとは?

どうも、運動不足マンです。

 

自分はオリンピックに全く興味がないんやけれど、世の中にはそれを楽しみにしている人がたくさんいるらしい。

 

なら、自分ならどういうイベントなら見たくなるか、考えてみた。

 

 

発想元↓

www.youtube.com

 

 

サムネに反してロザンさんが中庸的な議論をしようとしてはったので、自分も少し建設的なことを考えてみようと思った。

 

自分はどういうイベントなら見たくなるか

動画の話題から「世界けん玉大会よりオリンピックが応援される」という発想を取り上げたい。

僕はこの両方に現在興味を向けてはいない。しかし、どちらかの切符を買って見て来いと言われたら、けん玉大会を見に行く気がする。オリンピックはより参加者全員を応援するシステムにできていないからだ。オリンピックほどの大きな大会になると、全ての競技の全ての試合を網羅的に見ることは出来ない。必然”日本の”強い競技の”日本人”チームの出る試合が日本においては主役として扱われる。

基本的に自分は主役の存在しない「戦略ゲー・シミュレーションゲーム」を好む人間なので主役を決められると面白くない。ところが、オリンピックは強者のスポーツだ。各国の強いアスリートたちが集められている。男女混交競技にできないのはオリンピックにおいては参加者の多様さよりもただひたすらに”強い”ことがオリンピックでは正義だからである。その意味でオリンピックは「みんなのためのお祭り」ではない。「競技者のための祭典」なのである。*1まともに競技に取り組んだことのない自分としては、オリンピックは自分事ではなく、他人事なのだ。

 

自分がどのようなイベントなら見たくなるか。「競技者のための祭典」ではなく、素人や運動音痴も出られる「みんなのお祭り」なら見たい。自分と似たようなひきこもりチームがいたら応援する。けれども多様な人間を選出するのは、強い人間を選出するよりも難しい。

 

 

国家規模のお祭りは不可能なほど、国は大きくなった。

「みんなのお祭り」の実施には多大なコストがかかる。興味を持たない層をオリンピックに呼ぼうとするなら、現在興味を持っていない集団の代表を探して呼ぶ(ワリと多大な)手間と金がかかる。だから、自然な形で「みんなのためのお祭り」を実施することは難しい。

 

 

楽しみなお祭り

「国家規模で全員が一度に」楽しめるお祭りの開催は現代において自然には作れない。ブログやYouTubeInstagramのように人が入れ代わり立ち代わり存在しているなら”全員を”集めるコストを支払わなくていい。

現代人はずっとSNSという「お祭り」に参加し続けているんではないだろうか。

*1:パラリンピックにおいては、例えば車椅子バスケでは障がいの軽重がバランスよく揃うための仕組みがある。障がいを持たない人間は競技から排除されているが。