物語と文体についての大まかな話(小説家の仕事は劇場運営である)①概観編

 知り合いと小説について話す機会があったので、一度自分の現時点での小説についての考え方を書き出してみる。

 

小説を例えると

面白い小説を書こうとした時につまづくポイントが2つある。

・アイデアを膨らませる。

・それを伝わる形に仕立てる。

 

上が語るべき「物語」で、下はそれを伝える媒体。

映画にしても良いし、ゲームにしても良いし、絵で伝えてもいい。

でも今回は小説の話だから、媒体は「小説」である。

 

「小説」の中には幾つかの機能がある。

「小説」は本文に書かれた文字だけが価値として存在するのではない。

 

なぜなら人は表紙に惹かれて本を買うこともあるし、

図鑑やダイエット本を買って、読みもしないのに満足することもある。

 

面白い小説を書きたいならば

「小説」の形を借りるにあたって、その全体像を把握したい。

今回の連載ではそれを劇場に例えることで解説してみる。

 

劇場に例える

小説を劇場に例えると、

 

まず”人”は劇場にたどり着く必要がある。(1.立地)

たどり着くと劇場の看板や外装を目にする。(2.表紙、あらすじ)

ひきこまれるものを感じた”人”は少し入ってみて劇場の雰囲気や上映演目を確かめる。(3.冒頭、目次)

その中から一つ選んで、もしくは上映される順番に”人”は観劇する。(4.本文)

劇場から出た”人”はパンフレットを読んだりSNSを使ったりして発散する。気の早い”人”は観劇の前にこれをやる。(5.後書き、口コミ)

 

こんな感じだろう。

 

 

各論

それでは、バラバラに分解した構成要素から小説を再び組み上げてみる。

 

(1.立地)

小説といかに出会うかは大切だ。対象となる読者層に読まれる必要がある。ファンタジーはファンタジー好きに、推理物は推理小説好きに読まれる必要がある。けれど問題は、ファンタジー好きの読者は、ファンタジーを多く読みファンタジーに対する目の肥えた好敵手という事だ。正面からぶつかっていって感動させるのは余程の力量がないと難しい。

 

だからズラす必要がある。ファンタジー→権力闘争やファンタジー→仕立屋など。

 

もしくは別の入り口から入って自分の得意分野に持ち込むのも有効である。この場合人気のあるジャンルから引っ張ってきて、自分の得意なジャンルを展開するというお得コンボも可能である。安易な学園もの美少女ものから人間性の内側にえぐり込む名作エロゲのような展開や、とりあえずの殺人事件暴力事件への巻き込まれから始まるストーリー展開の黄金パターンなど。

 

(2.表紙、あらすじ)

表紙について凝ることはネットに小説を投稿している段階の人間にとっては縁遠い話になるが、ミヒャエル・エンデはてしない物語のように表紙が世界観を一層深めることがあることは周知の事実だろう。

 

あらすじはその作品における最も紙幅の少ない章である。であるから、ここだけで面白く読ませることが出来ないならば、それよりも長い本編は読んでくれる人だけが読むことになる。その為に、作品のコンセプトは絞るべきなのだ。題名だけで面白さが伝わる程までなら最高だ。

 

(3.冒頭、目次)

冒頭や目次はアニメで言えばオープニングムービーである。その作品の魅力や謎、登場人物を見せて観客を惹き込む。推理小説ならちょっとした謎を推理して見せたり、その巻のテーマとなる謎をにおわせてみたり。

 

(4.本文)

他の部分も価値を生み出すとはいえ、やはり小説の主体は本文である。であれば、より詳細に考える為、本文の役割をもう一度劇場と照らし合わせながら考えてみる。進行すべき「物語」はどのように語られるか。それはオムニバス形式かポアロ形式*1か順番に語っていくかなど物語進行も含めた、より大きな意味での「文体」に則って語られるわけだ。

 

「文体」とは狭義では文章の書き方を示す言葉だけれども、そこで表現できるものは存外多い。文章によって表現されるものは大きく分けて”何が、どんなものがあるか”という「モチーフへの説明」と、”それらがどの様に関係性を持っているか”という「関係性への説明」がある。

 

劇場に例えるならば、前者は劇場主のあなたが雇用している「役者」で、後者は劇場にあなたが仕組んだ「つくり(劇場設計)」だ。両方高品質なものであればあるほど評価が上がるかといえば、そうでもない。子供の学芸会での演技が何より心を揺さぶるという事もある。相応しい姿であることが重要なのだ。表現過多になっても叙述トリックに凝りすぎても伝わらないのだ。適切に「物語」の持つ魅力を描き切れる実力が「文体」には求められる。

 

「物語」は使い回しが効かないが、「文体」は使い回しが効く。であるから小説家は「文体」を武器にすべきである。(この辺りは物語と劇場の例えよりも、”歌”と歌手の”歌い方”に例えた方が分かり易いだろうか。別の歌手の”歌”を自分の”歌い方”でカバーしても聴いてもらえるが、別の歌手の”歌い方”で自分の”歌”を歌うことにはあまり需要がないのだ。自分で作りだすべきはむしろ自分なりの”歌い方”「文体」の方なのである。そちらの方が多くを期待できる。)

 

(5.後書き、口コミ)

 後書きや口コミは読書体験に対して与える役割はあまりないが、読書のきっかけとしては有用だ。職業小説家にとっては大事なことだろう。

 

まとめ

”人は誰でも一生に一冊は本を書ける”と言う。ではなぜ”人は誰でも小説家になれる”ではないのか。それは「物語をつくる力」と「物語を魅力的にみせる力」が別物だからである。であれば小説家の本分は「物語を魅力的に見せる力」、つまり「文体」にある。

 

 

具体的な「文体」の分類についても、考えを深めて「②文体編」を書きたい。

 

 

 

*1:先に見せて解説する形式