美術の授業で作品を完成させられないのはリアルだ。

リアル

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美術の時間と作品の完成

Highly Sensitive Person(和訳:めっちゃ繊細すぎる人)についての動画を見た。

 

その動画に付いたコメントで「美術の授業で作品を作る時、悩み過ぎて一つも完成させた事が無い。 そもそも、完成した作品を評価されるのが嫌だ。 自分が満足した物しか世に出したくない。」というものがあった。

 

自分も美術の時間に作品を完成させたことが一つもないタイプだ。

あれを直そう、これを直そうと少しづつ手直ししている内に製作期間が終わってしまうのだ。放課後にも毎回居残りして終わらせようとするのだが、終わらない。

 

授業時間の過ごし方

けれど、これは授業時間の過ごし方として相応しいのではないだろうか。

「美術の時間に最も求められること」は作品を完成させることだろうか。

 

否。

 

美術の時間を過ごすことだ。

作品が出来たからといって勝手に退席する自由は学生にない。 

 

 

「追加質問」

石膏像を1つ作る授業中に、石膏像を3つも4つも作る人間は評価されるだろうか。

「応答」

平等性を重視するタイプの学校教育では、教材が不平等に配分されることは許されない。よって原則二つ目以降の石膏像製作は禁止となる。

 

適応する人類

本来技術とは試行錯誤の中で身に着けていくものである。しかし学校の授業では試行錯誤は出来ない。教材が一人一つしかないからだ。ぶっつけ本番の高ストレス下で育った人間はなるべく挑戦しないようになっていく。自分で挑戦する機会が本番しかない以上、他人の失敗から学ぶのが合理的だからだ。*1いくら時間を費やしても完成しない場合、課題の完遂を目的としていない可能性がある。一発勝負は基本的に負け試合として回避されて、だらだらとした完成しないための”努力”が作品を”完成”させるための最善手になる。挑戦できない環境で仕事の能率が下がるのは、生物集団が現実に適応する戦略をとっているが故の、合理的帰結だ。

 

 

 

こうならないための改善授業案:

「5人に教材を4つ与えて、協力して作品を4つ作れ、その内一番良くできた1つを評価する。」とする。

 必要となる教材(コスト)は0.8倍になっている一方で、試行回数は4倍近く稼げる。

教訓:金がないなら人を使おう。(良い意味でな!!!)

*1:めちゃくちゃ難しい課題に取り組むときに全員が「いっせーので!!!」で取り組むと、99個の失敗作と1つの凡庸な作品が出来るケースが想定される。しかし「お前やれよ」と他人を蹴とばして挑戦させると、後にやる人間はその人間の失敗から学ぶことが出来る。その際より失敗する確率が高い弱者から挑戦させることで、効率的に学ぶことが出来る。40個の失敗作と50個の凡作と10個の傑作が産まれるかもしれない。こう考えると高ストレス下のデス・ゲーム参加者達が足の引っ張り合いして、僕のようなヒョロガリをまず生贄にすることには一定の合理性がある。南無。(でもいじめはアカンで)